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庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁 [明るい社会づくり運動のポイント]

私は、

庭野日敬師がなぜ

「明るい社会づくり運動を提唱されたのか」を、

よく、理解されているのか、

そうでないのかで、

その各々の、

明るい社会づくり運動の活動のあり方が

必然的に変わって来ると考えています。


その為に、

私の課せられた課題は、

「いかにして、

その事を後世の方々にお伝え出来るのか」が、

問われていると自覚しています。



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庭野日敬師は、

昭和55年4月の機関誌「佼成新聞」で

以下の事を述べています。

~~~~~~~~~~~~

 私がこの運動を提唱いたしましたのは

昭和四十四年のこと。

国内的にはいわゆる

高度成長経済の真っただ中でありまして、

心より金や物という風潮が全国にみなぎっておりました。

日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、

つまり人びとが自分勝手な理屈を主張いたし、

神仏を敬う念や倫理、遺徳がすたれて、

穏やかならざる世の中になるという様相が、

すでに表われていたのであります。


 明るい社会づくり運動の提唱は、

こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、

じつはもう一つ目的がございました。

それは、世界宗教者平和会議が生まれようとしていた当時、

世界宗教者平和会議の

理念と運動にふさわしい日本代表を

選びたいと思ったことであります。

 いわゆる宗教家だけではなく 

この社会には陰徳を積んで世のため人のために

尽くしておられるかたが大勢いらっしゃる。

主義主張を超え、

真に明るい社会をつくるため、

真剣に取り組んでいるかたが

たくさんおいででありましょう。

こういう素晴らしいかたがたにご登場いただき、

英知を頂戴して世界平和のために

お役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。

 すなわち、

明るい社会づくりと世界宗教者平和会議は、
その発想において、現代を正す両輪でございました。   

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

短い文章ですが、

所々にとても大事な事をおしゃっている内容だと受け止めています。

簡単にポイントだけを確認させていただきますと、

1、日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、

つまり

  穏やかならざる世の中になるという様相が、

  すでに表われていたのであります。


2、明るい社会づくり運動の提唱は、

  こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、


3、世界宗教者平和会議の

   理念と運動にふさわしい

   日本代表を選びたいと思ったことであります。


4、主義主張を超え、

  真に明るい社会をつくるため、

  素晴らしいかたがたにご登場いただき、

  英知を頂戴して

  世界平和のために

  お役に立たせていただきたいと

  考えたわけでございます。


5、すなわち、

  明るい社会づくりと世界宗教者平和会議は、

  その発想において、

  現代を正す両輪でございました。




庭野日敬師のお言葉は、

いつも私達にとても分かりやすくお話をして下さいます。

でも、私達のような凡夫は、

ともするとその内容にとても大切な事をおしゃっていても、

耳ざわりの良い事だけに気を取られて、

本当に大切な内容を

キチンと心に受けとめる事が出来にくいようです。


出来ましたら、

上記の文章を暗記出来るように、

くり返し、くり返し読んでいく事により、

今まで気が付かない事に

気が付く事がありますので実行してみてください。



私は、これからの明るい社会づくり運動には、

このような視点や感性を持ち合わせる

リダーが必要不可欠だと思っています。




私の今年のキャッチフレーズは、「前に、さらに前に前に・・・・・」


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
              http://www.meisha.me/
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庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁(1) [インタネット講座「拓塾」]

 インターネット講座「拓塾」を始めてから、

さらにたくさんの方々に、

このブログを読んでいただけるようになりました。

ご覧いただいている皆さんのブラウザーの反対側いる私ですが、

たくさん方が、本当に真剣にお読みいただいている事が、

不思議と、こちら側に伝わってくる気がしていますので、

感謝をさせていただきつつ、気持ちを引き締めている現状です。


 また余談ですが、

以前からあった事ですが、

インターネット講座「拓塾」を始めてからは特に、

どなたかは分かりませんが、

私の後ろにいらっしゃる方の働きが強くなった気がしています。

「さらに、守られている。」そんな気がしています。


 前回の「明るい社会づくり運動への機縁」の書き込みをしました直後から、

私の頭の中に「末法についての説明をしたらどうか。」との、

思いが何度かよぎってきています。

このインターネット講座 拓塾の行動指針のなかで、

「自修自得」を唱っていますのでご覧いただいている方々が、

「自身で深く探求する意欲が無ければ、

何事もなさん」との、立場に立っていますので、

私のお話する事の中で、

不明確な点や疑問点があれば、

ご自身で究明し深く探求する事を希望します。


しかし、私の後ろにいらっしゃる方々がさらに、

「末法についての説明をしたらどうか。」との

要望が強いように感じますので、

庭野日敬師がご自身の著書の中で

以下の事を述べていますので、

以下に、ご紹介させていただきます。


IMG_20180326_090202.jpg


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

新釈 法華三部経 8巻  (P306~311)より


お釈迦さまは、

ご自分が入滅されてからあとの時代を予見なさって、

五つの五百歳に分けておられます。

すなわち、《大集経》というお経のなかで、

つぎのようにお説きになっておられるのです。

(我が滅後五百年の中に於て諸の比丘衆、

猶我が法に於て解脱堅固なり。

後の五百年に我が正法の禅定三昧住することを得て堅固なり。

後の五百年には読誦多聞堅固なり。

後の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟し

白法穏没し損減すること堅固なり)

これをわかりやすいように表にしますと、

つぎのようになります。


第一五百歳 - 解脱堅固時  (正法)

第二五百歳 - 禅定堅固時  (正法)

第三五百歳 - 多聞堅固時  (像法)

第四五百歳 - 多造塔寺堅固時(像法)

第五五百歳 - 閥諍堅固時  (末法)             


   (P306 )

この五五百歳のうち、

(解脱堅固時)と(禅定堅固時)を合わせた千年を、

正法といいます。

仏陀の教法が正しく行なわれている時代というわけです。


つぎの(多聞堅固時)と(多造塔寺堅固時)を合わせた千年を、

像法といいます。

像だけが正法のときに似ている時代です。(P311 ~P312)


その五百年も過ぎてしまうと、

もはや形式的な宗教さえおおむね無視されてしまう時代になるというのです。

仏教そのものについていえば、

(我が法の中に於て閥諍言訟し白法隠没し損滅すること堅固なり)で、

宗派争い(閥諍)が盛んになり、

それも、

言論闘争から政治闘争・法廷闘争(言訟)にまで発展し、

ゴタゴタが絶えないわけです。

そして、正しい法(白法)は

どこにいったかわからぬようになってしまうのです。


しかし、仏法はけっしてなくなってしまうのではありません。

かくれ、見失われてしまうだけであります。

(隠)もかくれるという意味ですが、

(没)もかくれるとか沈むという意味のことばです。

なくなるという意味に使われることもありますが、

しかしその場合でも、

ぜんぜん無に帰してしまうのでなく、

見えないところへかくれてしまうという意味をもっているのです。


これは、こまかい語意のせんさくのようですが、

けっしてそうではなく、

ひじょうに重大な意義をもっているのです。

なぜならば、

白法(仏法)が(ぜんぜんなくなってしまう)というのと、

(かくれて見えなくなってしまう)というのでは、

天地ほどの差があるからです。


いや、無と有のちがいですから、

天地の差とも比較はできますまい。


ともあれ、

仏法はけっしてなくなることはないのです

(白法消滅)でなく(白法隠没)となっているところに、

よくよく注目しなければならないのです。

さて、聞潜堅固というのは、

たんに仏教および仏教界だけについていってあるのではなく、

ひろく世相全般についての予言でもあるわけです。

その時代になりますと、

人びとはまったく利己的になり、

自分の利益・自分一家の利益の

団体の利益・自分の国の利益・自分の属する

階級の利益等々ばかりを追求するために、

たがいの利害が情実し、

つねにいがみあうようになります。

我と我のつのつきあいです。


言論闘争・政治闘争・法廷闘争は日常のこととなり、

人心はたいへん険悪な、


トゲトゲしいものになります。

いや、それですむうちはまだいいのですが、

ついには血を流すような不祥事が起こり、

またそれが国際的なものであれば、

ついに人間どうLが殺しあう戦争にまで発展してしまうのです。

ちょうど、現代がその時代に当たりましょう。

(P306~P311 )

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は、庭野日敬師は

法華経の真意を体得され、

その事に基ずいて行動されていた。

と、理解しています。


しかるに、

「日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、

つまり人びとが自分勝手な理屈を主張いたし、

神仏を敬う念や倫理、

遺徳がすたれて、

穏やかならざる世の中になるという様相が、

すでに表われていたのであります。


明るい社会づくり運動の提唱は、

こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、・・・・・・」に、

なっていると理解しています。


「末法」という言葉に、

必要以上にとらわれる事はないと思いますが、

やはり、

私は、これからの明るい社会づくり運動には、

このような視点や感性を持ち合わせるリダーが

必要不可欠だと思っています。


私の今年のキャッチフレーズも、「前に、さらに前に前に・・・・・」


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

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庭野日敬師のごあいさつ(明るい社会づくり運動 第十回総会にて) [インタネット講座「拓塾」]

庭野日敬師は、平成元年4月26日に開催されました、

明るい社会づくり運動 全国協議会の第十回総会のごあいさつで、

以下のお話をされています。


今回は、私の余計な注釈はなしで、

このブログをご覧いただいている皆様と一緒に、

庭野日敬師のごあいさつの内容を噛みしめて見たいと思います。


よろしくお願い致します。


IMG_20180326_090202.jpg


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

明るい社会づくり運動 全国協議会の第十回総会


本日は明るい社会づくり運動の十回目の総会がこうして開かれましたが、

私はあちこち飛んで歩いておりまして提唱したということだけで、

何のお役も、お手伝いもできないでおりました。


しかし本日伺ってみまして、

井探先生を会長さんにいただいて、

非常に充実した、

素晴らしい明るい社会づくり運動が全国的に進められていることを知り、

ご参集の皆さまはじめ、

全国で活躍してくださっている方々に

本当に心から厚く御礼を申し上げる次第でございます。


人材をつくるためには、

期間をかまわず、永遠の努力をしなければならないことだと思います。

こういう人材をつくるということになりますと、

どなたか熱心な方がやってくださるというようなことにならないと、

なかなかできないことだと思います。

これからも皆さまのお力で、

どうか、その方の積み重ねをお願い申し上げたいと思います。


最近になって私は比叡山にまいりました。

日本の仏教の母山といわれる比叡山を興しました

伝教大師さまのおそばにいらっしゃる

お座主さま(山田恵諦猊下)が、

始終なにかの際に引用されます言葉に、

「忘己利他」「自分を忘れて他に利益を与える」というお言葉があります。

私どもが他に利益を与、えるということは、

自分を忘れなければできないことだと思います。


そういうご緑でお座主さまの説法を聞いていますと、

本当にいきいきとした感じがいたしまして、

いつも素晴らしいお座主さまの人格に触れたことによって

自分の心がさわやかになる、やすらぎを得る、

そういう感じがいたします。

そのようなことで先般私どもの平和賞(第六回庭野平和賞)を、

お座主さまに受けていただくということが、

ようやく実現したわけでございます。


ところでお座主さまは、

伝教大師の「悪いことは永く続かないものである。

良いことは永くつづくものである」というお考え方を

ずっともっておられる。

伝教大師さまが比叡山を開創されましてから一昨年で

一二〇〇年になりました。

一二〇〇年の間永遠のともしぴ(不滅の法燈)の火が

消えないでずっと続いているわけです。

この永遠のともしびが永く続いていること自体が

素晴らしいことなのです。


これがもし世界宗教者平和会議のような所でつながるならば、

という願いをもっていましたところ、

ローマ法王さまが、

昭和六十一年十月、アッシジにおいて世界の宗教者の方々と共に、

世界平和の祈りをしようということを呼びかけられました。

その時にはお座主さまは、

アッシジまで九十二歳のお年で参加されました。

その翌年には、比叡山での宗教サミットを主宰され、

また本年は、比叡山サミットの精神を

今度はWCRPの第五回目オーストラリアでの会議(メルボルン)に

持っていくということになりました。

ところで具体的に「火」をもっていくのは大変困難をことで、

どのようにして持っていかれたかと伺いますと、

「比叡山のともしびをカイロ灰にうつし、

それをそっと肌身離さず持っていってくださった」ということでした。

そして、むこうにまいりますとペンマン大司教(聖公会)さまが、

今度の開催国の共同議長として

オーストラリアの宗教者をまとめていただいたわけですが、

この方が、持ってまいりましたともしびを

「永遠に私どもが守ります」ということで、

奥さまと二人で引き受けてくださったわけでございます。

そういうことで私共も、長く続けていくということは大変なことだと、

つくづく思わせていただいたところでございます。


私共の信奉している法華経でありますが、

法華経の一番有り難いところは何処かといえば、

十六番の如来寿量品という所で「如来の寿命は永遠である」と

説かれているところであります。

そこで、永遠の生命の尊さと同じような意味において、

天台宗のお座主さまがその象徴であるともしぴを、

そのまま自分で持ってオーストラリアまで行って、

メルボルンで大司教さまにお渡しし、

その真心をたんたんとお話しをくださっているうちに、

大司教さまご夫妻が

「これは永久に私どもが自分の生命をかけてお守りさせてもらいます」 

こう受けていただいたということで、

お座主さまのお気持ちは、

具体的に世界の場に伝わって行ったわけでございます。


そのように、いいことを続けるためには、

私達の考えを継いでいってくれる

次の世代の方をつくらなければ続かないわけであります。

そういう意味におきまして、まず自己をつくり、

そこで明るい社会づくり運動の精神を自分もそれを行じ、

そしてまた次の者にその精神を伝える。

そういう考えが広まるということは、

大変素晴らしいことであると思うのであります。

そういう点でも、今日まで各都遺府県の会長さん方が

このように揃って運動を実施していただいている。

こういうことは非常に素晴らしいことだと思うのであります。


私は今年また、

日宗達(日本宗教連盟)の理事長を仰せつかっているのでありますが、

一九六九年にもちょうど私が当番でありましたので、

その時「私は今度日宗達の理事長という使い走り役をおおせつかりまして、

来年度は世界宗教者の平和会議を日本の京都で行なうことになりました。

これにご協力をお願いしたい」ということで、

まず高野山に行きますと、過去に何かありますとき、

宗派などが違いますと多少びったりしない所があって、

どなたに会っても、

なかなか容易でないことが多かったわけでありますが 

- 高野山の方が「君の所は新しいだけに、

  君が会長で始めた時から他宗教を別物と考えない。

  全く偏見がなくやっていることは私も認めている。

  君がやるのがどなたがやるよりも皆さんが協力しやすいのではないか。

  うちだけは心配なしだよ。力いっぱい後押しするから、

  真剣にやってください」と励ましてくださいました。


次に、翌日比叡山に行きますと 

「この山は汚れのない山だ。

日本のお祖師さまはこの山から生まれたのだ。

私たちも伝教大師さまの精神を貫いてずっと来ている。

世界平和のためにやるならば、

協力するから全山を世界平和のために自由に使ってください」という

お言葉をいただきまして、

むしろ私どもが今まで新しい宗教、古い宗教などというような

こだわりを持っていたのではないか、

古くから長年つながっている方々は、

非常に尊い人格を持っていらっしゃって、

私どものそういう考え方は無い、

と知って比叡山に行ってよけい安心をいたしました。


三日目には伊勢神宮にまいりました。

そして前の徳川宗敬大宮司さまの所に行きましたら

「ほうぼうのお寺さんもそういうことをやるならば、

伊勢神宮もそのことに賛成します。そのかわり来年に遷宮式があります。

次の遷宮式にあなたも参列してください」と、

こういうお言葉をいただいたわけです。

ということで三五〇人ほどの神職さんと一緒に、

遷宮式のご神体の車のすぐ後の所に私の立つ場所がありまして、

行列に従ってその遷宮式に参列しました。


私はなぜか不思議な因縁だなと思いますのは、

一昨年の比叡山がちょうど開創一二〇〇年ということです。

そして十五~十六年前になりますが

、伊勢神宮の遷宮式が六〇回日ということは、

一二〇〇年目の遷宮式にはからずも、

私は大宮司さまから参列してくださいといわれまして、

お仲間に入れていただいた。

そういうようなことで一二〇〇年という年の巡り合わせが、

仏教の伝わる所からも来たり、

それより前にすでに

神道の方の一二〇〇年目の遷宮式にお仲間にさせていただいたり、

そういうようなことを通して、

神さま仏さまが

正しいことは永く持続させなければいけないのだということを、

逆に教えてくださっているような気がするのであります。


私どもの日本の神道「八百万の神」ということは、

あらゆる所、形のある所にはみな神様が宿ってなさる。

仏教で言うと、これは仏性であるといわれますが、みんな弘子なんだ。

仏心はみんなもっているのだ。

仏さまの方からしては「仏の子だ。仏の子だ」と言おうとして、

法華経ではそれを明らかにしている。

そういう意味で「仏さまの子だ」とおっしゃっているのに、

われわれは凡夫だといって、

欲を捨てないで、いろいろの面倒を自分で作っている。

欲を捨てて忘己利他で自分を忘れて、

人さまのために益を与えるようにしようという、こういう考えになれば、

伝教大師さまと同じようになれる。

それは八百万の神を祀るという神道の精神であると私は思っている。

神さま仏さまというのは目に見えないけれども

「いつでも仏さまは、おまえの側にいるよ。

おまえには見えないけれども、神さまはいつでも側にいる」と

おっしゃっているわけです。


そういう意味で神さま仏さまを

いつも心の中に描いて明るい社会づくり運動をすれば、

神仏のご加護によってうまくいくのではなかろうか。

そしていろいろな形で人格的にも、哲学的にも、

心の中に一つの宗教を持って世の中を明るくする、

永遠の生命の尊さと世界の平和を願うというようなことも、

同じょうなことではないかと、

そんなふうに考えさせていただいたわけでございます。


このように私は今日一〇回目の総会に伺いまして、

これだけの素晴らしい方が全国からお集まりいただいておりますが、

皆さま方のご協力またご精進に心から厚く御礼を申し上げます。


そして私の今考えている心境を

正直に皆さんの前に披歴をさせていただきました。

自分では宗教協力ということを言葉に出していながら、

ややもすると心の中にこだわりがあるのでございます。

世界宗教者平和会議というものを通じて宗教団体を訪問してみますと、

偏見のない日本の偉大なる指導者の方々がいらっしゃる。

この幸せを感じて、

およばずながら一生懸命やらせていただいておるわけでございます。


五年に一度の当番で、

今年は四回目の理事長(日宗達)をやらせていただくということに

なっているわけでございます。

どうか皆さま方のご支援をいただいて、

私も努める場所を間違いなく努めさせていただくよう、

ご支援のほどを重ねてお願い申し上げまして、

今日のご挨拶に代えさせていただきます。


(要旨:平成元年4月26日)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私の今年のキャッチフレーズも、「前に、さらに前に前に・・・・・」

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