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私の地元での提案 [自己研鑽]

先日、私の地元での明るい社会づくり運動の総会がありました。
その席上で以下の提案をさせていただこうと、資料の準備をしました。
そして以下の提案をさせていただきました。
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私 の 提 案

1、明るい社会づくり運動を提唱された
     庭野日敬師の思いや願いを継承(再確認)しましょう。

2、庭野日敬師の思いや願いを具現化出来る後継者を育成しましょう。

3、時代のニーズに合わせた活動に転換しましょう。
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私は、今までの明るい社会づくり運動の経緯や経過を振り返って見る時に、
当然の事だと思っていますので、
この事はごく初歩的な、ごく簡単な事だと思っていますが、
なかなか理解されない現実がありました。
まず、明るい社会づくり運動の庭野日敬師の願いとか思いを正しくご存じなく、
ご自身の思いこみや、考え違いによって、
事実とは違った事を想定されての事だと思っています。
庭野日敬師が、
ご自身の、欲得や保身為に明るい社会づくり運動を提唱されていると
思われている事がとても残念でした。
私達は、明るい社会づくり運動の庭野日敬師の願いや思いを正しく、
世の様々な方々にお伝えする責務があると、私は考えています。

このブログをご覧の方々はどのようにお考えでしょうか。

最低でも、事実と異なった、明るい社会づくり運動に対する庭野日敬師像は
払拭しなくてはいけないと常々思っています。
そんな意味で、本日は以下の資料をご紹介致しますので、
庭野日敬師の思いや願いをご理解いただきたいと考えています。

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「明るい社会づくり推進西中国大会」    昭和44年9月21日防府公会堂

庭野日敬師のご挨拶

戦後の日本は「奇跡の繁栄」といわれるくらいに工業国としても急速な発展を遂げました。
いまや国民総生産は自由諸国の中では世界第二位。大型消費時代ともいわれ、
電器製品などは修理するより使い捨ての風潮が強くなっております。
昭和元禄ということばがありますが、着るもの、食べるもの、
すべて当時の大名をしのぐ今日のいきおいだといえましょう。
そこで今日のこうした風潮に中国の古いことばを引用すれば、
まことにおかしな事になります。
「衣食たりて礼節を知る」。さて、どうでしょう。
おそらく礼節が守られているという答えは少ないのではないかと思います。
長幼を大事にする美風も、師に対する敬愛の念も、ひたいに汗する労働の尊さも……。
日本人が持つこうした精神的な背景が、
私には軽く見られ、ゆがんできたように思えてならないのです。

では、いつの間にこうなったのでしょうか。どうあるのが本来の姿なのでしょうか。
私は仏教徒ですので、
仏教的な見方からこうした問題を次に考えてみたいと思います。まず言えることは、
今日の教育の根本が、
物質に対する考え方、いわゆる唯物思想的なものに片寄ってはいないかという危供です。
早い話、幸福とはなんでしょう。いつも借金取りに追われている人は、
金持ちになることだと答えるかもしれません。
同じように病弱な人はせめて健康なからだをといい、
若い男女は恋人がほしいと訴えるかもしれません。
なるほど求める幸福はそれぞれ違います。
が、そこに共通したものが見られないでしょうか。
つまり、金、からだ、恋人……すべが物中心であり、
いずれも欲を出発点とした幸福であるということです。
よしんばお金に困っていた人が大金を得たとしましょう。
それだけでその人達は幸福だと思うでしょうか。
金持ちになれば次には名誉や地位を得たいと思うでしょうし、
恋人とデートをするにはお金が欲しいと思うはずです。
物が中心であるかぎり欲望はつのります。
この点について釈尊はまことにあっさりと論破されています。
つまり「諸苦ノ所因ハ食欲コレ本ナリ」人類の苦しみの原因は
すべてむさぼる欲にあるとおっしゃっているのです。
実にわかりやすく、かつ手きびしいではありませんか。

ではどうすればいいのかといいますと、
これまた今日の社会が端的に回答を導いてくれるように思います。
すなわち、すべて物が先行し心が忘れられている現実です。
〝物″と〝心〟を車の両輪にたとえるならば、〝物″の車輪が大きすぎて、
まっすぐ進もうとしても一カ所をグルグルまわっているのに似ています。
社会の混乱も退廃や争いも、
この堂々巡りを繰り返す車輌のもとで起こっているといえるでしょう。

ですから、人間らしい本来の軌道を進もうとするならば
〝心″の車輪をひとまわりもふたまわりも大きくしなければなりません。
釈尊が「物心一如」といわれたゆえんを、
私どもはいま一度かみしめてみる必要があるように思うのです。

ついでに申しますと、釈尊はこの混とんとした現代の世相を予言されております。
入滅後、第五の五百歳というのですからいまがちょうどそのときにあたります。
その時代になると知識が進むにつれて人類は利己主義となり、殺伐たる社会となる。
そのときにこそこの仏教の法門が強く望まれるであろう、というのです。
きわめて楽観されているわけですが、私にはその論拠がうなずけるように思います。
それは 「人間は平等に仏性を持っている。かならず仏になれるのだ」と説かれた
〝一切衆生悉有仏性″その仏性の輝きは
自分の死後も決しておとろえないと確信されていたからにほかなりません。
なるほど、きょう善行賞を受けられた方がたを含め、
社会の乱れに気づき、社会を明るくしようと決意された仏子の集まりはこんなにも盛大です。
それだけに、この生活の実践的な教えである仏教理念が、
さらに加われば、どんなに心強いことでしょうか。

講演要旨1970年版『佼成年鑑』より
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お互い様に、様々なご苦労があると思いますが精進・努力して行きたいと思います。


私の今年のキャッチフレーズは、「前に、さらに前に前に・・・・・」


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庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページはこちらです。
                      http://www.meisha.me/
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