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庭野日敬氏が提唱した明るい社会づくり運動に不可欠な事-信念や信仰を突き抜けよう! [明るい社会づくり運動のポイント]

前・井深会長と、
お会いさせていただいたのは、私が拓塾を卒塾後直後だったと思います。

前・井深会長が、箱根で療養中でしたが上京する事になり、
ソニーの本社に出社するので、私達の為にお時間を取って下さるとの、連絡をいただきました。

私達メンバーは集合場所に集まると、
お会い出来るのは、長くても10分か15分位でとても貴重な時間だと聞いて伺いました。
前・井深会長が、ソニーの役員室にお入になる時には、
杖をついてゆっくりと椅子にお座りになるご様子でしたので、とても心配をしてお話を伺っていました。
しかし、前・井深会長がお話しを始めてしばらくすると、
私の、その不安は一瞬に吹き消されてしまいました。
お話になる内容とお話なっているお姿は、まさしく青年そのものでした。


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特に印象深かったのは、
明るい社会づくり運動に参加するのには、
「その人の持っている信念や信仰を突き抜けないといけない」と、お話していた点です。
「突き抜けないといけない」とは、いったいどういった事なのか、
私には、うまく表現出来ませんが、
「自身が持っている信念や信仰の枠(カラ)の中だけで留まっていてはいけない」と、
言っているように、私は受け止めてさせていただいています。
自身の後生大事にもっている殻を破り、
相手(他団体)の良さを認め、また世間の声を謙虚に耳を傾けて行く事が大切ではないでしょうか。


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また、物事を始めるに当たり
「人まね」をしてはいけないと、強くおしゃっていた事が強く記憶に残っています。
その後、様々な出来ごとに触れ合いますが「人まね」をしている方は、
どんなに素晴らしい事であっても、なかなか良い評価をいただけない現実を目のあたりにして、
前・井深会長のおしゃった事の意味を、新めて再確認する次第です。

私は、これらの言葉は、事ある毎に思い出し肝に銘じるように心がけています。

また、現在社会の課題点を独自の視点で的確にとらえてお話して下さいました。
特に、終戦後からの戦後教育の在り方についてのお考えは、
私にすると、今まで考えても見ない視点で「目から鱗が落ちる」思いでした。

最終的には、前・井深会長は2時間近くお話して下さったと思います。
私達は、明るい社会づくり運動に対する期待と情熱を感じ取るのと同時に、
その物事に対する考え方や、物事に対する情熱は、
私にとっては色々な面で「カルチャショック」そのものでした。

前・井深会長との集合写真を見る度に、
あんな事を言っていた、こんな事も言っていたと、
色々とお話していただいた事が思いだされ、今でも胸の熱くなる思いです。

また、新らためて、頑張らなくてはと思います。

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井深大(いぶかまさる) 明るい社会づくり運動 二代会長
ソニー創業者。1908年、栃木県生まれ。
早くから幼児教育の大切さを訴え、1969年に幼児開発協会(EDA)を設立。
'92年に文化勲章を受章。1997年12月19日逝去、亨年89歳でした。
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私の今年のキャッチフレーズは、「前に、さらに前に前に・・・・・」

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庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
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明るい社会づくり運動に不可欠な「仏さまの懐に抱かれる、」とは [庭野日敬師の言葉]

自分の目の前に悩み苦しんでいる人いるならば、

その事を、そのままにしては行けない。(逃げてはいけない。)

自身に出来る事は、たいした事は出来ないかもしれないが ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。

たとえ、小さな一歩かもしれないかもしれないが ・ ・ ・ ・ ・ 。

私達達自身が歩め始めないと、その道は始まらない。

明るい社会を築く為には!


庭野日敬師は、とても大切な事をおしゃっています。

あなたには、庭野日敬師のおしゃっている意図が理解出来ますか。


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仏さまの懐に抱かれる

自分の目で見て、確かめられるものでなければ信じない、という人がいます。

しかし、それでは大事なものを見落としてしまいはしないでしょうか。

私たちがふだん聞いている音は、自分の耳に合ったごく一部の音にすぎず、

周波数がうんと高かったり低かったりすると、聞こえません。

自分の耳に聞こえる音が、すべてではないわけです。

それと同じで、この世界は私たちには感受できない広大な広がりをもっています。

仏さまのお姿は私たちの肉眼では見えませんが、

教えどおりに行じると、仏さまの存在がはっきりと見えてきて、

その大きな懐に抱かれている自分に気づかずにいられません。 

信仰をしている私のいちばんの幸せは、

仏さまがいつも一緒にいてくださるのを感じられることです。

その幸せを、私は最近、さらにしみじみと思わずにいられないのです。

ですから、

生きているうちは仏さまのみ心のままに生きてなすべきことをなし、

ご用が済めば仏さまのもとへ帰らせていただくのだ、と

私は心に決めています。

これほど安心な生き方はないと思うのです。

   
庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


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このお言葉が、

あなたのこころにどのように響きましたか。


そこがポイントのように思っています。




私なりに日々、精進を重ねて参ります。



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私が庭野日敬師のお話になる事の中で、最も大事にしている言葉 [庭野日敬師の言葉]

私は庭野日敬師のお話になる事の中で、

大切に心刻んでいるお話がたくさんありますが、

今日は、その中でも特に大切にしている物の一つご紹介します。



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仏さまの近くにいる人


「私の衣に触れるほど近くにいても、

 欲望や怒りに振り回され、放逸にふける人は、

 私から遠く離れている人である」と、

 お釈迦さまはおっしゃられています。


 そして、

 「たとえ私から百里も離れた所にいたとしても、

 欲望や怒りを離れ、放逸に陥らない人は、

 私のいちばん近くにいる」と

 教えられるのです。


いつも、

お師匠さんの近くにいると、

いつでも教えを聞けるようなつもりで、

つい慣れっこになってしまい、

その言葉の一つ一つの大切さに

気づけなくなることがあるのですね。


反対に、

お師匠さんから遠く離れていて、

滅多に教えを聞くことができないからこそ、

その教えのひと言ひと言に真剣に耳を傾け、

その教えを命がけで守ろう、と精進を怠らない人もいます。


「仏の山に鬼が住む」という言葉がありますが、

慣れが、

つい油断を生んでしまうのです。これが大敵です。


ご法の真理は、

自分をなげうって教えを行じてこそ、そのはたらきが見えてきます

どこにいようと、その法を見る人こそが仏さまのいちばん近くにいる人であり、

仏さまのご守護に包まれる人なのです。


庭野 日敬 著 『開祖随感』より


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あなたは、いかがですか。


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